長寿の「習慣」はどこまで本当か ― 百歳人口と双子研究から読み直す
長寿の「習慣」はどこまで本当か
―― 百歳人口の地図と、双子研究が問い直す「遺伝の比重」
百歳以上の高齢者が、2025年9月1日時点で全国に9万9763人いる。厚生労働省が9月12日に公表した「令和7年度 百歳の高齢者へのお祝い状及び記念品の贈呈について」の数字だ。前年より4644人増えて、これで55年連続の増加。あと237人で十万人に届く。ここまでは、どの新聞もほぼ同じ見出しで伝えた。私が手を止めたのは、その先の一行のほうだった。人口10万人あたりの百歳以上は、島根県が168.69人で全国一位、いっぽう埼玉県は48.50人で最下位。同じ国の、同じ制度の下に暮らしていて、百歳の密度が3.5倍近く違う。
もし長寿が「正しい生活習慣の積み重ね」だけで決まるのなら、この地図はどう読めばいいのだろう。島根の人だけが、そろって正しく歩き、正しく食べ、正しく眠っている――とは、さすがに思えない。「長寿者に共通する習慣」という語り口は、この素朴な問いの前で、案外もろい。本稿はそのもろさを三つの角度から確かめ、最後に2026年に出た一本の論文へたどり着く。
1. 島根と埼玉で、百歳の数は3.5倍違う
地域差そのものには、習慣以外の説明がいくつもぶら下がっている。若い世代が都市へ出ていけば、残った高齢者の比率は上がり、百歳の「密度」も見かけ上は高く出る。埼玉のように現役世代が流入し続けた県では、分母がふくらむぶん密度は下がる。気候も、医療へのかかりやすさも、家族と同居しているかどうかも効く。要するに、百歳の地図は生活習慣の通信簿ではない。いくつもの要因が折り重なった結果であって、そこから「島根式の暮らし方」だけを抜き出して真似れば長生きできる、という話には、まずならない。
増え方そのものも、習慣の改善では説明しきれない。百歳以上は、集計が始まった1963年には全国でわずか153人だった。それが1998年に1万人を超え、2022年に9万人を突破して、いまの9万9763人に至る(いずれも厚生労働省の発表による)。六十年あまりで六百倍を超える増加を、国民が一斉に良い習慣を身につけた成果だと考えるのは無理がある。栄養状態や公衆衛生、医療へのかかりやすさといった社会の土台が底上げされたことのほうが、はるかに大きい。個人の心がけの話に落とし込む前に、まず時代のほうが変わったのだ。
平均寿命も見ておく。厚生労働省の令和6年簡易生命表(2024年)では、男性81.09歳、女性87.13歳。百歳以上の88.0%は女性で、これは平均寿命の差を思えば不思議でもなんでもない。ただ、ここで一つ気づくことがある。私たちが「長寿者の習慣」として読まされる記事の主役は、たいてい女性だ。それなのに、その習慣がそのまま男性にも効く前提で書かれている。性別という、本人にはどうにもならない条件が、すでに結果の大半を方向づけているのである。
2. 「共通点」を語れるのは、生き残った人だけだ
長寿者へのインタビューには、構造的な穴が一つある。答えられるのは、生き残った人だけだ、ということ。同じように毎朝散歩をして、同じように味噌汁を飲んでいた人のうち、八十代で亡くなった人にはマイクが向かない。百歳まで届いた人だけが「私は毎朝歩いてきました」と語り、その声だけが集められて「共通点」になる。歩いていたのに早く逝った人は、最初から数えられていない。
これは生存者バイアスと呼ばれる、ありふれた、しかし強力な錯覚だ。第二次大戦中、統計学者エイブラハム・ウォルドは、被弾して帰ってきた爆撃機の弾痕を地図にした軍に対し、「補強すべきは弾痕の集まった場所ではなく、弾痕のない場所だ」と説いた。そこを撃たれた機体は、そもそも帰ってこられなかったからである。長寿者の習慣調べも、骨格はこれと同じだ。生きて語っている人の習慣をいくら集めても、それが「生き延びさせた習慣」なのか「たまたま生き延びた人の習慣」なのかは、その集め方からは区別がつかない。百寿者百人の朝食を並べても、早くに亡くなった人の朝食と突き合わせないかぎり、本当は何も言えないはずなのだ。
3. 習慣が長寿をつくるのか、長寿だから習慣が続くのか
仮に生存者バイアスを脇に置けたとしても、もう一つの壁が残る。因果の向きだ。「よく外出する高齢者は元気だ」というデータは山ほどある。だがそれは、外出が体を元気にしたのか、それとも、もともと元気だから外出できたのか。膝が痛まず、心臓に不安がなく、財布にいくらか余裕がある人ほど、外に出て人と会い、よく歩く。健康が習慣を生んでいるのであって、習慣が健康を生んでいるとは限らない。
この「向き」を取り違えたまま、「だから外出しましょう」と勧める記事は多い。勧めること自体が悪いわけではない。外出に害はないし、良いことのほうが多いだろう。問題は、相関を因果のように見せて、読者に「やれば必ず効く」と信じ込ませてしまうところにある。観察されたデータは、誰が長生きしたかは教えてくれても、何をすれば長生きできるかまでは、そう簡単には教えてくれない。
4. 25%という数字が、2026年に揺れた
では、生まれつきの要素はどれくらい効くのか。長く引かれてきた数字は「25%」だ。慶應義塾大学医学部の百寿総合研究センターでスーパーセンチナリアン(110歳以上)まで追ってきた新井康通教授も、一卵性双生児の研究から、寿命に遺伝が関与する割合を25%ほどと語ってきた。下敷きになっているのは、1996年に報告されたデンマークの双子研究である。日本老年医学会の専門誌に載った百寿者研究の総説でも、長寿への遺伝素因の寄与はおおむね15〜25%と見積もられてきた。裏を返せば、残りの七割以上は生まれつきではない何か――環境や暮らし方――で動く余地がある、という読み方になる。これは習慣を信じたい側にとって、心強い数字だった。長寿に関わる遺伝子としてAPOEやFOXO3などが名指しされてきたが、網羅的な解析を重ねても、再現性をもって関与が確かめられた遺伝子は数えるほどしかない。「これさえ持っていれば長生きする」という一本の鍵は、いまも見つかっていない。
ところが、その25%が2026年1月に揺れた。米科学誌サイエンスに載ったイスラエル・ワイツマン科学研究所などの国際チームの論文(Shenharほか、2026年1月)が、双子と兄弟姉妹の大規模な追跡データを数理モデルで解析し直したのだ。感染症や事故、戦争・災害といった「外から来る死」の影響を取り除いたところ、心臓病や認知症、がん、老衰のように体の内側から来る寿命については、遺伝の効き目が従来推計の二倍を超える――およそ50〜54%に達する可能性が示された(日本経済新聞2026年1月30日の報道では55%とされる)。むろん、まだ一つの再解析であって、確定した結論ではない。だが、「遺伝はせいぜい四分の一」という前提そのものが、いま専門家の間で問い直されている、という事実は軽くない。生まれつきの比重が二割なのか、四割なのか、五割なのか――その答えは、まだ揺れている。わからないことを、わかったふりで埋めるわけにはいかない。
5. それでも、自分が動かせる範囲をどこに置くか
ここまで読むと、長寿の話は身も蓋もなく聞こえるかもしれない。生まれた県、性別、遺伝――本人には選べないものが、結果のかなりの部分を占めている。だが、それは「何をしても無駄だ」という結論ではない。地域差にも遺伝にも還元しきれない部分は、確かに残っている。新井教授自身、短命の家系から百寿者が出ることはあるし、生まれつきでない要因の影響のほうが大きいと考えてよい、と述べている。動かせる余地は、決してゼロではない。
ただ、その余地をどう使うかは、「百歳の人がやっていたこと」のリストを上から順になぞることではないはずだ。生き残った人の声だけを集めた共通点でもなく、因果の向きが怪しいおすすめでもなく、自分の体と財布と暮らしに照らして、続けられそうなことを一つか二つ選ぶ。それで十分だと思う。
問いを立て直すなら、こうなる。「長寿者は何をしていたか」ではなく、「自分が動かせる範囲はどこまでで、そこに何を置くか」。前者は他人の結果の話で、後者だけが、自分の話だ。なお、ここに並べた数字は社会全体の傾向であって、個々人の健康を約束するものではない。持病や体調、薬の判断は、記事の数字ではなく、かかりつけの医師に相談してほしい。
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