取り崩す口座の順番は、翌年の保険料と窓口負担を動かす
取り崩す口座の順番は、翌年の保険料と窓口負担を動かす
「所得に乗るもの」と「乗らないもの」を、制度の判定基準から確かめる
3万472円。15万円の譲渡益に20.315%を掛けた金額です。源泉徴収ありの特定口座で利益が出たとき、すでに引かれている税額がこれにあたります。確定申告をすれば、条件によってはこの一部または全部が戻ってきます。
ところが同じ申告によって、国民健康保険に入っている人なら翌年の保険料が2万8千円ほど増えることがあります。差し引きで手元に残るのは、千六百円ほどです。75歳以上で後期高齢者医療に入っている人なら、医療費の窓口負担が1割から2割へ変わる場合があります。年間の医療費が20万円なら、負担は2万円から4万円になります。
どちらも、確定申告書に一行書いたことの帰結です。以下では、この計算が成り立つ条件を制度の判定基準から一つずつ確かめていきます。
取り崩しの順番、という言い方をすると、たいていは税金の話になります。課税口座を先に使うか、NISAを最後まで残すか、年金は繰り下げるか。どれも所得税と住民税を軸にした議論です。しかし手取りを削っているのは、税金だけではありません。
税金の外側に、もう一組の判定装置があります。国民健康保険料と後期高齢者医療保険料、介護保険料、そして医療と介護の窓口負担割合。これらは、前年にどの口座からいくら受け取り、それを申告したかどうかで動きます。しかも税金より、階段が急です。
1. 売った月から半年以上遅れて、通知は四方向から届く
6月の保険料、7月の負担割合証、8月1日の窓口負担
まず、時間の感覚を合わせておきます。
国民健康保険料(税)は、前年の所得が確定したあとに決まります。埼玉県坂戸市は、令和8年度の当初納税通知書を7月9日に発送すると公表しています(坂戸市「令和8年度国民健康保険税」)。介護保険の負担割合は市区町村が前年の所得をもとに判定し、7月頃に「介護保険負担割合証」が交付されます。
後期高齢者医療の窓口負担割合は、毎年8月1日を基準に定期判定が行われます。判定された割合は、その年の8月1日から翌年7月31日までの1年間に適用されます(大阪府後期高齢者医療広域連合、船橋市「後期高齢者医療被保険者証(保険証)に代わる資格確認書等について」)。
つまり、去年の12月に売った投資信託の利益は、今年の6月から8月にかけて、順に返ってきます。売った瞬間には、何も起きません。半年から8か月ほど遅れてやってくる。この時差が、取り崩しの判断を難しくしています。
判定に使われるのは、すでに終わった年の所得
もう一点、性質として厄介なところがあります。これらの判定に使われるのは前年の所得です。すでに終わった年の数字が、これから1年間の負担を決めます。年の途中で気づいても、その年の判定に間に合う打ち手はほとんど残っていません。
税金であれば、翌年の所得が下がれば翌年の税額も下がります。保険料と負担割合も同じように1年遅れで戻りますが、その1年のあいだに医療や介護が必要になった場合、負担増はそのまま実額として出ていきます。
2. 同じ100万円でも、どの口座から出したかで判定額が変わる
特定口座は、確定申告をした瞬間に総所得金額等へ乗る
源泉徴収ありの特定口座で株や投資信託を売ると、利益から20.315%が自動的に差し引かれます。内訳は所得税15.315%と住民税5%です(東広島市「上場株式等の配当所得等及び譲渡所得等の市県民税における課税方式の選択」)。この場合、確定申告をする義務はありません。申告不要制度と呼ばれる仕組みです。
国民健康保険料の所得割額は、前年の総所得金額等から住民税の基礎控除43万円を引いた「旧ただし書き所得」をもとに計算されます(練馬区「国民健康保険料の計算方法(令和8年度)」)。そして源泉徴収を選んだ特定口座の譲渡所得と上場株式等の配当所得は、申告しないかぎりこの総所得金額等に含まれません(川崎市「上場株式等に係る配当所得等の課税方式と国民健康保険料について」)。
裏返せば、申告した瞬間に含まれます。姫路市は、申告不要を選ばずに総合課税または申告分離課税を選んだ場合、その所得は合計所得金額や総所得金額等に算入され、扶養等の認定、非課税判定、国民健康保険料、後期高齢者医療保険料、介護保険料(自己負担割合を含む)に影響が出る場合があると案内しています(姫路市「上場株式の譲渡所得及び配当所得の課税方式の選択(令和6年度以降廃止)」)。損益通算をしたい、繰越控除を使いたい、源泉された税を取り戻したい。理由が何であれ、申告書に書けば同じ扱いになります。
住民税だけ申告不要にする逃げ道は、令和6年度で塞がれた
以前は抜け道がありました。所得税では確定申告をして還付を受け、住民税では別に申告して申告不要制度を選ぶ。こうすれば税は取り戻しつつ、保険料には響きません。実務ではよく使われた手です。
これが令和4年度の税制改正で終わりました。令和5年分(個人住民税では令和6年度分)以降、上場株式等の配当所得等および譲渡所得等について、所得税と住民税で異なる課税方式を選ぶことはできません(吹田市「異なる課税方式の選択の廃止について」、川崎市 同資料)。あわせて、住民税の繰越控除額も所得税の額と一致させることになりました(渋谷区「特定配当等及び特定株式等譲渡所得等金額に係る課税方式の統一および繰越控除について」)。いまは、申告するかしないかの二択です。中間はありません。
その渋谷区は、同じ案内のなかにこう書き添えています。申告不要を選択すると得になるかどうかは一人ひとりの状況によって変わるため、税務課では案内ができない、と。行政が「こちらが有利です」と言えない領域だと明示しているわけで、これは読み流していい注記ではないと思います。
NISAとiDeCoの一時金は、そもそも判定の土俵に上がらない
NISA口座の利益は非課税です。非課税ということは、所得として計上されないということでもあります。だから保険料にも、窓口負担割合の判定にも、いっさい関係しません。
iDeCoや企業型DCを一時金で受け取った場合も、同じ方向に働きます。一時金は退職所得として扱われ、他の所得と分けて課税されます。そして練馬区は、旧ただし書き所得のもとになる総所得金額等について「退職所得は含まず」と明記しています。
取り崩しの順番を考えるとき、この二つは判定に響かない引き出し口です。同じ金額を用意するなら先にこちらを使ったほうが、翌年の判定は静かになります。
ただしiDeCoを年金形式で受け取ると、扱いは反転する
同じiDeCoでも、年金形式で分割して受け取ると、公的年金等に係る雑所得になります。雑所得は総所得金額等に入ります。ここで扱いが逆向きになります。
しかも公的年金等控除は、国民年金・厚生年金と合算した収入に対して一度だけ効きます。65歳以上で公的年金等の収入が330万円未満なら控除額は110万円です(国税庁「高齢者と税(年金と税)」)。公的年金だけですでに110万円を超えている人には、iDeCoの年金部分に使える控除の余地が残っていません。
一時金か年金かは、退職所得控除の枠が残っているかどうかで語られることの多い論点です。けれど保険料と負担割合の側から見ると、判定の土俵に乗るか乗らないかという、もっと手前の分かれ道でもあります。
3. 200万円、280万円、43万円 ― 越えた瞬間に階段が上がる
15万円の譲渡益が、窓口負担を1割から2割へ動かすことがある
75歳以上の後期高齢者医療で窓口負担が2割になるのは、二つの条件を両方満たしたときです。同じ世帯の被保険者に住民税の課税所得が28万円以上の人がいること。そして、同じ世帯の被保険者の「年金収入+その他の合計所得金額」が、単身なら200万円以上、被保険者が2人以上の世帯なら合計320万円以上であること。課税所得145万円以上の現役並み所得者は、従来どおり3割です(政府広報オンライン「後期高齢者医療制度 医療費の窓口負担割合はどれくらい?」)。
ここで、単身で年金収入190万円、住民税の課税所得は28万円以上という人を想定します。年金だけなら判定額は190万円で、200万円には届きません。1割負担です。
この人が源泉徴収ありの特定口座で15万円の利益を出し、還付を狙って確定申告をしたとします。判定額は190万円に15万円が足されて205万円。200万円の線を越えます。窓口負担は2割になります。
取り戻せる税は、多くても15万円の20.315%で3万472円。対して窓口負担は倍になります。年間の医療費が20万円かかる人なら、1割で2万円だった負担が4万円。差の2万円は、還付の3万472円の3分の2にあたります。
しかも、2割負担の導入時に置かれていた緩衝材はもうありません。外来の負担増を月3,000円までに抑える配慮措置は、令和4年10月1日から令和7年9月30日までの3年間の措置で、すでに終了しています(厚生労働省「後期高齢者の窓口負担割合の変更等(令和3年法律改正について)」)。かつては線を越えても段差が緩められました。いまは、そのまま2割です。
介護保険にも、同じ形の線が二本ある
介護保険の利用者負担にも、同じ構造の線があります。65歳以上で自己負担が2割になるのは、本人の合計所得金額が160万円以上で、かつ「年金収入+その他の合計所得金額」が単身なら280万円以上、2人以上の世帯なら346万円以上のときです。3割になるのは、合計所得金額が220万円以上で、かつ単身340万円以上、2人以上の世帯463万円以上のときです(厚生労働省「一定以上所得者の負担割合の見直しについて」)。
年金収入270万円の人は、公的年金等控除110万円を引いた合計所得がちょうど160万円。判定額は270万円で、280万円の手前にいます。ここに15万円の譲渡益を申告すると285万円になり、線を越えます。
なお、この基準そのものを引き下げる方向で検討が続いています。社会保障審議会介護保険部会は、「一定以上所得」の判断基準の見直しについて、第10期介護保険事業計画期間の開始(令和9年度)の前までに結論を得ることが適当だとしています。いまの280万円という線が、この先も同じ位置にあるとは限りません。
国民健康保険では、均等割の軽減が7割から5割へ落ちる
窓口負担割合ほど目立ちませんが、家計への影響がはっきり出るのは国民健康保険の軽減判定です。所得が一定以下の世帯は、均等割額が7割・5割・2割軽減されます。令和8年度の基準は、7割が「43万円+10万円×(給与所得者等の数-1)」、5割がそれに「31万円×被保険者数」を加えた額、2割が「57万円×被保険者数」を加えた額です(坂戸市「令和8年度国民健康保険税」)。
この軽減判定では、1月1日時点で65歳以上の年金受給者について、公的年金等に係る所得からさらに15万円が控除されます(調布市「国民健康保険税の軽減・減免」、東大阪市「国民健康保険料の決め方」)。
単身、年金収入168万円の人で計算してみます。公的年金等控除110万円を引いた雑所得は58万円。ここから高齢者特別控除15万円を引いて、軽減判定所得は43万円。7割軽減の基準はちょうど43万円ですから、この人は7割軽減に該当します。
ここに15万円の譲渡益を申告すると、判定所得は58万円になります。7割軽減の枠を外れ、5割軽減に移ります。坂戸市の令和8年度の率で計算すると、均等割は医療保険分41,600円、後期高齢者支援金分14,300円、子ども・子育て支援金分1,832円と18歳以上均等割128円で、合わせて57,860円。7割軽減なら17,358円ですが、5割軽減では28,930円。差は11,572円です。
所得割も増えます。賦課の基礎になる額が15万円ぶん増え、医療保険分8.4%・後期高齢者支援金分2.82%・子ども・子育て支援金分0.3%の合計11.52%を掛けると17,280円。均等割の増分と合わせて、およそ28,852円です。
源泉徴収されていた3万472円がかりに全額戻ってきたとしても、手元に残るのは千六百円ほど。ここに窓口負担の変化が重なれば、差し引きは容易に赤字になります。ただし保険料率も均等割額も市区町村によって違いますから、この数字はあくまで坂戸市の令和8年度の率で計算した一例です。ご自身の市区町村の率で置き換えてみてください。
令和8年8月から、線を越えた先が重くなる
高額療養費制度の自己負担限度額も、令和8年8月から見直されます。70歳以上の一般区分では、外来特例の月額上限が18,000円(年144,000円)から22,000円(年216,000円)へ、世帯ごとの上限が57,600円から61,500円へ引き上げられ、あわせて年間上限53万円が新設されます。住民税非課税区分は外来8,000円が11,000円になり、年96,000円の年間上限が置かれます。一定所得以下の区分の外来8,000円は据え置きです。長期に療養する人に配慮して、多数回該当の額は現行水準が維持されます(厚生労働省「高額療養費制度の見直しについて」)。
線を越えて2割になった人が、そのあと医療費を重ねたときに当たる天井が、少し上がるということです。
4. 「申告しなければ乗らない」には、期限がついた
ここまでの話は、ひとつの前提の上に成り立っています。源泉徴収ありの特定口座で申告しないかぎり、その利益は市町村に把握されず、保険料や窓口負担の判定に乗らない。これは制度の抜け穴というより、市町村が住民税の所得情報しか持っていないことによる帰結でした。
その前提が変わります。令和8年5月29日に成立し、6月5日に公布された「健康保険法等の一部を改正する法律」(令和8年法律第31号)は、後期高齢者医療において上場株式の配当等の金融所得を保険料の算定や窓口負担割合等の判定に公平に反映するため、金融機関等が法定調書を後期高齢者医療広域連合へオンラインで提出する義務等を設けるものです(厚生労働省保険局「健康保険法等の一部を改正する法律(令和8年法律第31号)の成立について」令和8年6月18日、第212回社会保障審議会医療保険部会 資料1)。
確定申告をするかどうかにかかわらず、金融所得が判定に乗る。そういう仕組みに変わります。
ただし、すぐにではありません。この部分の施行は「公布後5年以内」で、政令で定める日とされています。厚生労働省が示した想定スケジュールでは、システム改修に2年程度を見込んだうえで、オンライン提出の義務化が公布後2〜3年程度、保険料・窓口負担区分への反映が公布後4〜5年程度と機械的に置かれています。同省自身が、他の要因で後ろ倒しになる可能性に留意するようにと注記しています。
対象は、いまのところ後期高齢者医療です。国民健康保険と介護保険はこの改正には含まれていません。もっとも、衆参両院の厚生労働委員会の附帯決議は、金融所得の公平な反映を目指す後期高齢者医療制度や国民健康保険の事務について、自治体の負担軽減に努めるよう求めています。国保も視野に入っているとは読めます。
いま70代前半の人にとっては、75歳を迎える頃に前提が変わっている可能性がある、ということになります。
自分と線との距離を、先に数えておく
取り崩しを税金の最適化として考えると、課税口座を先に使うか後に回すかという議論になります。けれど判定装置は四つあって、そのうち三つは税金より先に階段を上がります。
だから順番を決める前に、確かめておくとよいことがひとつあります。いま、自分の年金収入はいくらか。単身なら200万円と280万円、世帯に2人以上いるなら320万円と346万円。この線に対して、自分がどれくらい手前にいるのか。ねんきん定期便かねんきんネットで年金の見込額を出して、線との差を書き出してみてください。差が20万円しかないなら、その年に申告できる譲渡益は20万円までだ、ということです。
もっとも、実際の判定は世帯構成や他の所得によって変わりますし、保険料率も市区町村ごとに違います。線に近いと分かったら、売る前に、加入している市区町村や後期高齢者医療広域連合の窓口で自分の数字を確かめてください。渋谷区が書いていたとおり、有利かどうかは一人ひとり違います。ここに書いたのは判定の仕組みであって、あなたの結論ではありません。
取り崩しの順番は、その余白の大きさが決めます。
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