大人になった子どもとの距離の取り方
大人になった子どもとの距離の取り方 関係を保つために、親の側でできること 子どもが大人になると、連絡は自然と減っていく。 LINE の返事が一日来ないくらいのことで、なぜこんなに落ち着かないのか。会えば会ったで、こちらの言うことに「わかってるよ」と軽くいなされて、少し寂しい。子育てが一段落した親なら、多かれ少なかれ覚えのある感覚だと思う。 やっかいなのは、その寂しさを埋めようとして動くと、たいてい逆に出ることだ。連絡を増やし、助言を足し、財布を開く。よかれと思ってやることが、なぜか距離を広げてしまう。ここでは、その「よかれ」がどこで裏目に出るのかを、公的なデータと制度をたどりながら、落ち着いて見ていきたい。 1. 子どもが成人した時点で、法律ですら親の責任を一段下げている あまり知られていないが、親が子に負う扶養の義務は、子が大人になるあたりで性質が変わる。民法 877 条 1 項は「直系血族及び兄弟姉妹は、互いに扶養をする義務がある」と定めているが、その中身は一律ではない。親が未成熟の子に対して負うのは「生活保持義務」 ―― 自分と同じ水準の暮らしをさせる義務で、民法学では古くから「最後に残された一片の肉まで分け与えるべき義務」とも比喩され、生活保持義務と生活扶助義務を区別する考え方として知られている。これに対して、成人した子に対する親の義務は「生活扶助義務」に下がる。自分の生活を確保したうえで、なお余力のある範囲で助ければ足りる、というものだ。 法律を持ち出したのは、扶養料を計算したいからではない。子が大人になった瞬間に、社会の制度のほうは親子を「対等な、別々の生活単位」として扱い直している ―― その一点を確認したかったからだ。最後の肉まで差し出す関係から、余力の範囲で支え合う関係へ。制度はとうに切り替わっているのに、親の頭のなかだけ保護者のまま、ということが多い。あの寂しさの正体は、たぶんこのずれにある。なお、扶養の具体的な中身は当事者の協議や家庭裁判所の調停で決まるもので、ここでの説明は一般的な枠組みにとどまる点は断っておきたい。 2. よかれと思った仕送りが、子の足場を外すことがある 距離のずれが、いちばん見えにくい形で表に出るのがお金だ。困っている我が子に手を差し伸べたい、という気持ちは自然なもので、それ自体...