「不倫で人生が豊かになる人」はいるのか ― 司法統計と慰謝料の数字から考える

「不倫で人生が豊かになる人」はいるのか

司法統計と慰謝料の数字から考える

最高裁判所の司法統計を取り寄せ、離婚を申し立てた人が挙げた動機を数えた。「異性関係」の欄に並ぶのは、夫が2,132件、妻が6,505件。家庭裁判所に持ち込まれた婚姻関係事件の、ある一年分である(最高裁判所「司法統計年報(家事編)」第19表・婚姻関係事件数申立ての動機別・申立人別、全家庭裁判所。20266月に裁判所公表の最新分を確認)。

不倫は人生を豊かにするのか。そう問う本やブログは多い。だが「豊かになった」と数えた公的な統計は、どこにもない。あるのは壊れた後の数字だけだ。この記事は、その壊れた後の数字を並べる。

1. 「異性関係」を動機に挙げた離婚は、夫2,132件・妻6,505

夫が申し立てた婚姻関係事件は総数15,500件。うち異性関係を動機に挙げたのが2,132件で、率にすれば約14%。妻は総数43,469件のうち6,505件で、約15%。動機は1件につき3個まで挙げる方式なので、各動機の合計は100%を超える。

順位で見ると、夫では「性格が合わない」「精神的に虐待する」に次ぐ上位に異性関係が入る。妻では「性格が合わない」「生活費を渡さない」「精神的に虐待する」「暴力を振るう」の後に並ぶ。男女とも、離婚動機の中で無視できない位置にある。

具体的な件数を見る。夫で異性関係2,132件の上には、性格が合わない9,240件、精神的に虐待する3,159件が立つ。妻で異性関係6,505件の上には、性格が合わない16,304件、生活費を渡さない13,235件、精神的に虐待する10,948件、暴力を振るう8,576件が並ぶ。金銭や暴力が、異性関係より多く挙がっている。不倫は離婚理由の代表格のように語られるが、件数では中位の常連というのが実像に近い。

ただし注意がいる。これは離婚を申し立てた側が挙げた動機だ。つまり不倫を理由に家裁まで持ち込んだ件数に近い。黙って別れた夫婦も、別れずに続けた夫婦も、ここには入らない。数字は氷山の、水の上に出た一角でしかない。

もう一つ。これは申立人別の数字である。自分の異性関係を動機に離婚を申し立てる人は、まずいない。だからこの欄は、ほぼ「された側」が起こした件数とみてよい。不倫が公の記録に残るのは、される側が動いたときだけなのだ。

2. 「慰謝料の相場」に、公的な数字は無い

題に「慰謝料の数字」と書いた。だが正直に言う。不貞慰謝料に、公的な相場統計は存在しない。裁判所は判決の平均額を公表していない。法律も金額を定めていない。

よく聞く「50万円から300万円」は、弁護士が経験から示す目安だ。離婚に至れば100万〜300万円程度、離婚せず関係を続ければ数十万〜100万円程度、というのが各事務所の解説で重なる線である(複数の弁護士事務所の公開情報による目安であって、公的統計ではない)。これは2026年時点の解説で重なる線にすぎず、裁判例の積み重ねで動く。慰謝料は配偶者と不倫相手が連帯して負う。すでに夫婦関係が破綻していた後の不貞には、原則として請求できない。

金額の幅がこれだけ広いのは、裁判所が婚姻期間・不貞の期間・子の有無・どちらが主導したか、といった事情を一件ごとに見て決めるからだ。相場という言葉は便利だが、自分の額がその幅のどこに落ちるかは、最後まで読めない。実際の事案で額を詰めるなら、弁護士に直接あたるほかない。

要するに、慰謝料の「数字」は柔らかい。態様で大きく動き、裁判所の物差しも公開されていない。豊かさを測るどころか、損害の額すら一意には決まらないのが実情だ。

3. 確実に積み上がるのは慰謝料ではなく、別居と離婚の継続費

柔らかい慰謝料に対して、固い数字もある。別居と離婚にかかる継続費だ。

別居すれば、収入の多い側は配偶者と子の生活費(婚姻費用)を払う。離婚すれば、子を引き取らない側は養育費を払う。その額の基準を、裁判所は持っている。最高裁判所司法研修所が20191223日に公表した「養育費・婚姻費用算定表(令和元年版)」がそれだ(裁判所ウェブサイトで公開)。約16年ぶりの改定で、従来よりおおむね引き上げられた。

婚姻費用は別居の間ずっと、養育費は子が育ち切るまで続く。月数万円でも、年単位・十数年単位で積めば、慰謝料の目安を軽く超える。さらに弁護士に頼めば着手金と報酬金がかかる。費用は自由化されており事務所ごとに違うが、無料ではない。

算定表は子の人数と年齢で何枚にも分かれている。婚姻費用は配偶者の生活費まで含むぶん、同じ収入でも養育費より高く出るのがふつうだ。そしてどちらも、相手の同意ではなく裁判所の基準で額が決まる。慰謝料のように態様で値切れる費目ではない。固いのは、こちらの数字のほうである。

4. 「不倫で豊かになった人」を数えた統計は、どこにも無い

ここまで数字を並べて、足りないものに気づく。「豊かになった人」の数字が、一つも出てこない。

司法統計が映すのは、壊れて家裁まで来た夫婦だ。うまくいって黙っている人は、統計に現れない。だから「豊かになった人はゼロだ」とは、数字では言えない。いるかもしれない。ただ、数えられていない。

逆に、損害の側は丹念に記録されている。動機別の件数も、養育費の算定表も、判例の慰謝料も、全部書類に残る。失敗は記録になり、成功は逸話のまま消える。この非対称が、このテーマの厄介さの正体だ。

この偏りは、不倫を擁護する材料にも、断罪する材料にもなってしまう。擁護する側は「失敗例しか数えていない」と言える。断罪する側は「成功例を一つも示せないではないか」と言える。どちらの言い分も成り立つ。数字が決着をつけてくれない領域だと、先に認めておく。

5. 値札が付くのは失う側だけ、という非対称

それでも、数字には向きがある。

失う側には、値札が付く。慰謝料の目安、婚姻費用と養育費の算定表、弁護士費用、そして離婚すれば失う配偶者としての立場。遺族年金や相続税の配偶者軽減は、婚姻が続く限りのものだ。一方、得る側には値札が無い。「豊かになった」を裏づける公的な数字が、存在しないからである。

期待値という言葉を使えば、下振れだけが定量化されている、ということになる。上振れがゼロだと言いたいのではない。上振れは測られていない。測られていないものに賭けるのが、どういう賭けなのか――問いはそこに移る。

念のため付け加える。ここで言う「失う側」は、不倫をした本人とは限らない。された側も、慰謝料を取り戻すために弁護士費用を払い、別居の生活費を立て替え、離婚後は世帯の収入が落ちる。不倫が一つ起きると、関わった全員の側に値札が回る。豊かになるどころか、家計はまず痩せる。

6. 算盤に一度だけ乗せる――失う側の合計を出す

提案は一つだけだ。自分のケースで、失う側の合計を一度だけ算盤に乗せてみる。

不貞があった、あるいはこれからという局面で、頭の中の「豊かさ」と釣り合わせるべきは、漠然とした罪悪感ではない。具体的な額だ。慰謝料の目安、別居中の婚姻費用、離婚後の養育費(算定表に自分の年収と子の数を当てはめれば概算が出る)、弁護士費用、失う社会保障上・相続上の地位。これを一度、紙に書き出す。

書き出した数字を見てもなお豊かになると思えるなら、それはもう感情論ではない。書き出せないなら、その豊かさは、まだ値札を見ていない豊かさだ。

この算盤は、する前にも、された後にも使える。する前なら抑止の数字になる。された後なら、感情に流されず取れるものを取るための数字になる。どちらの側にいても、まず額を見る。それが、この壊れた後の統計から引き出せる、ほとんど唯一の実用だ。なお本稿の金額はいずれも執筆時点の目安であり、制度や算定表は改定される。自分の確定額は、最新版の算定表と弁護士など専門家への確認で詰めてほしい。

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