配偶者を亡くした後の一年で、悲しみはどう動いていくのか

配偶者を亡くした後の一年で

悲しみは「段階」を上るのではなく、寄せては返す

配偶者を亡くした後の一年で

朝、いつもの癖で湯呑みを二つ出してしまう。注ごうとして、手が止まる。配偶者を亡くしたあとの一年は、こうした小さなつまずきの連なりとして過ぎていきます。そしてある夜ふと、心細さに似た問いがやってきます。この悲しみは、いつ、どんなふうに薄れていくのだろう、と。

「否認・怒り・取引・抑うつ・受容」という五つの段階を思い浮かべる方もいるかもしれません。けれどあの五段階は、もともと死を告げられた患者の心の動きを描いたもので、遺された人の悲嘆がその順番どおりに進むと確かめられたわけではありません。実際、日本心理学会の機関誌に当たってみると、段階を時間軸に並べる古典的なモデルはむしろ見直され、悲しみには決まった順路がないこと――その個別性が強調されてきた、とあります(坂口幸弘「悲嘆研究の最新動向――理論と実践」日本心理学会『心理学ワールド』110号、2025年)。悲しみは、階段を一段ずつ上るのとは、別の動き方をします。

最初のうちは、実感が追いつかない

最初のうちは、実感が追いつかない

亡くした直後は、涙より先に、現実感の薄さが来ることがあります。葬儀の段取り、死亡届、保険や年金の手続き――やらなければならないことを淡々とこなしている自分に、あとから戸惑う人は少なくありません。愛着理論にもとづく古典的な見立てでも、悲嘆の入り口に置かれていたのは「無感覚」でした。心が一度には受け止めきれないぶんを、しばらく麻痺させて守っている時間とも言えます。ここで泣けないことを、薄情だと自分を責めなくていいのです。

しかも、悲しみそのものとは別に、死別の後には事務がのしかかります。届出、相続、身辺の整理。遺族ケアの専門家がまとめた指針でも、こうした手続きが二次的なストレスとなって遺族に重なることが指摘されています(日本サイコオンコロジー学会・日本がんサポーティブケア学会編『遺族ケアガイドライン 2022年版』金原出版、2022年)。悲しむより先に、まず書類に追われる。その慌ただしさのなかで感情が後回しになるのは、おかしなことではありません。

悲しみは、寄せては返す

悲しみは、寄せては返す

いま、悲嘆の理解として広く参照されている考え方のひとつが、シュトレーベとシュットの「二重過程モデル」です(Stroebe & Schut, 1999/前掲『心理学ワールド』110号でも紹介されています)。人は、「亡くした事実と向き合う時間」と、「その人がいない暮らしを立て直す時間」のあいだを、行ったり来たりする――そういう見方です。一日のうちでも、写真の前で泣いている自分と、夕飯の献立を考えている自分とが、交互に現れる。これは矛盾でも、不謹慎でもありません。正常な揺れです。一年をかけて、その重心が後者へ、少しずつ移っていきます。どこかに「上りきる一点」があるのではなく、波の高さと、波と波の間隔が、ゆっくり変わっていく。立ち直りとは、そういう形をしているのです。

忘れることが、立ち直りではない

忘れることが、立ち直りではない

「いつまでも引きずらないで」「早く忘れたほうがいい」。善意の言葉に、かえって追い詰められることがあります。けれど近年の研究では、故人との関係を新しい形に結び直しながら持ち続けることは、健全な過程の一面だと考えられています。アメリカの宗教心理学者デニス・クラスらは、日本の祖先崇拝にヒントを得て、絆は断ち切るものではなく続いていくものだと論じました(「継続する絆」continuing bonds)。仏壇に手を合わせて話しかける。遺影に今日あったことを報告する。命日に好物を供える。それは後戻りでも、未練でもありません。つながりを、これから生きていくための形に作り替えていく作業です。

一周忌のころ、波がまた高くなることがある

一周忌のころ、波がまた高くなることがある

半年、一年と過ぎ、まわりが「もう落ち着いたね」と思いはじめる頃に、命日や記念日、ふとした季節の匂いで、波がまた高くなることがあります。死別からの時間の経過は悲しみの形を変える大きな要因ですが、それは一直線に和らいでいくものではありません。多くの人は、家族や友人の支えのなかで、専門の助けを借りずとも、少しずつ折り合っていきます。同じ死別を経験した人どうしが語り合う「分かち合いの会」が、支えになる人もいます。

ただ、半年を過ぎても、強い悲しみで日常が立ち行かない状態が続くなら、それは「遷延性悲嘆症」かもしれません。世界保健機関の国際疾病分類ICD-11では、強い思慕やとらわれが六か月以上続き、生活に支障をきたす状態として位置づけられています(前掲『遺族ケアガイドライン 2022年版』。ICD-112022年発効)。どれくらいの人に起きるのかは、調査や診断基準によって幅があり、死別を経験した人の数パーセントから一割程度とする報告があります。割合の大小はともかく、これは気の持ちようや弱さの問題ではなく、心理療法など専門の手当てが届く状態だ――という点が大切です。

波がまた来ても、あなたが後戻りしたわけではありません。一人で抱えきれないと感じたら、かかりつけ医や、精神科・心療内科に、悲しみそのものを相談していい。ここで触れた段階やモデルは、研究が描いた大まかな傾向であって、あなたの一年の進み方を決めるものではありません。進み方は人それぞれで、正解もありません。どんな悩みでも二十四時間、通話料無料で聞いてくれる「よりそいホットライン」(0120-279-338/一般社団法人社会的包摂サポートセンター)もあります。悲しみは、急いで終わらせなくていいのです。

コメント

このブログの人気の投稿

取り崩す口座の順番は、翌年の保険料と窓口負担を動かす

退職金2,000万円、振込日からの三か月 ― 銀行員の親切の正体を、数字と書類で確かめた

40代からの新NISA、若い世代とは「戦い方」が違う