家族信託は夫婦の退職金や財産をどこまで守れるのか

家族信託は夫婦の退職金や財産をどこまで

守れるのか
家族信託は夫婦の退職金や財産をどこまで 守れるのか

「家族信託を組めば夫婦の財産は守られる」。広告でも書店の棚でも、その一文はよく目に入る。けれど「守る」が何から何を守ることなのかは、たいてい曖昧なままだ。退職金を信託に入れれば安心、という単純な話ではない。信託法と税法の条文を一つずつ当てていくと、家族信託が守れるものと、まるで守れないものは、思っていたよりはっきり分かれている。最高裁や国税庁の資料に当たりながら、その線引きを引き直してみる。

1. 家族信託が守るのは、口座が凍る前に夫婦のお金を動かせる状態

家族信託が守るのは、口座が凍る前に夫婦のお金を動かせる状態

家族信託は、財産の持ち主(委託者)が信頼できる家族(受託者)に管理・処分を託し、利益は受益者が受け取る、信託法に基づく契約だ。多くは親が委託者と受益者を兼ね、子が受託者になる。肝は時期にある。判断能力があるうちに結んでおけば、あとで認知症が進んでも、受託者が財産を動かして介護費や医療費に充てられる。夫婦で本当に怖いのは、片方が認知症になった途端、その人名義の預金や自宅が事実上凍ることだ。残された配偶者でも、相手名義の口座は簡単には引き出せない。家族信託が守るのは、この「使えなくなる」を避け、夫婦のお金を回し続けられる状態である。財産そのものを増やす仕組みではない。動かせる状態を保つための仕組みだ。

2. 名義が子に移っても、税金は一円も軽くならない

名義が子に移っても、税金は一円も軽くならない

最初の誤解を外しておく。信託で名義が子に変わっても、経済的な持ち主=受益者が変わらなければ、課税は動かない。本人が委託者と受益者を兼ねる自益信託なら、信託財産から出る所得は、従来どおり本人の所得として課税される。家族信託それ自体に節税効果はない。むしろ落とし穴がある。賃貸不動産を信託すると、そこで出た赤字は「生じなかったもの」とみなされ、給与など他の所得と損益通算できず、翌年への繰り越しもできない(租税特別措置法第41条の42)。大規模修繕で大きな赤字が出た年でも、その赤字は税のうえでは消えてしまう。賃貸を持つ夫婦には小さくない話で、「相続税が減るらしい」で組むと、あとで計算が合わなくなる。

3. 借金から退職金を隠す箱にはならない

借金から退職金を隠す箱にはならない

二つめの誤解。信託に入れた財産は、名義のうえでは本人の手を離れる。だから取り立てから守れる、と早合点する人がいる。だが通らない。委託者が債権者を害すると知りながら信託をすれば、債権者は受託者を相手取り、その信託を取り消すよう裁判で請求できる(信託法第11条・詐害信託)。条文は、受託者がその事情を知っていたかどうかを問わない、とまで書いている。受益者の全員が事情を知らなかったような場合に取り消しが制限される例外はあるものの、退職金を信託の箱に移して借金から逃げる、という使い方は、はじめから封じられていると見ていい。遺留分についても同じ筋がある。経済的な利益の出ない不動産まで信託に詰め込み、相続人の遺留分を実質的に骨抜きにしようとした契約について、その部分を公序良俗に反して無効とした裁判例がある(東京地裁平成30912日判決。ただし控訴審は和解で終わっており、地裁段階の判断という限界はある)。信託は、誰かの取り分を消すための道具としては設計されていない。

4. 入院や施設の契約は、受託者にはできない

入院や施設の契約は、受託者にはできない

最後が、いちばん見落とされる。受託者にできるのは、信託した財産の管理と処分だけだ。本人に代わって入院の契約を結び、介護施設の入所手続きをする権限――身上監護――は持たない。そこは成年後見の領分になる。後見人は、本人が結んでしまった不利益な契約を取り消す権限も持つが、受託者にはこれもない。ちなみに後見は一度始めると簡単にはやめられず、親族以外の専門職が選ばれることも多い。最高裁の集計を開くと、令和6年に成年後見人等へ選任された人のうち、約82.9%が親族以外だった(最高裁判所事務総局家庭局「成年後見関係事件の概況」令和6年。同年末時点の利用者は253,941人)。家族で柔軟に、という動機はここから来る。ただし柔軟さと引き換えに、身上監護は後見や任意後見で別に備えるしかない。

並べ直すと、最初の問いの答えはずいぶん絞られる。家族信託が守れるのは、認知症で凍る前に夫婦のお金を動かし続けられる仕組みであって、税金でも、債権者でも、本人の暮らしの契約でもない。退職金を入れる前に、自分がいちばん守りたいのはそのどれなのか――決めるのは、そこからでも遅くない。なお、ここで触れた制度や税の扱いは20266月時点のもので、金額や要件は法改正で動く。実際に組むときは、自分の財産構成を前にして、司法書士や税理士に一度あたってほしい。

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