定年後30年、資産を減らさず暮らす「4%ルール」の落とし穴
定年後30年、資産を減らさず暮らす「4%ルール」の落とし穴
米国生まれの数字を、円で暮らす日本の退職者にそのまま当てはめると何が起きるか
「資産の4%までなら毎年引き出しても、30年で尽きない」。この4%ルールが日本の退職本やSNSで語られるとき、たいてい出所は省かれます。気になって、元になった論文まで遡って確かめました。ウィリアム・ベンゲンが1994年に発表した「Determining Withdrawal Rates Using Historical Data」(Journal of Financial Planning)と、1998年のトリニティ大学の研究、通称トリニティ・スタディです。数字の中身を読み込むと、この4%は、円で暮らす私たちがそのまま使える前提では作られていない、とわかってきます。
1. 4%は「平均」ではなく、最悪の時期に退職しても30年もった上限だった
ベンゲンが使ったのは1926年以降の米国市場のデータです。そこから彼が拾ったのは、平均的にうまくいく引き出し率ではありません。世界恐慌の直前や、株安と高インフレが重なった1970年代を含め、どの年に退職した人でも30年間資産が尽きなかった最大の初期率——それが約4%でした(ベンゲン, 1994/トリニティ・スタディ, 1998)。つまり4%は、余裕のある安全マージンではなく、過去最悪のタイミングにぎりぎり耐えた線なのです。
もう一つ、日本での紹介でよく混ざるのが引き出し方です。ベンゲンの4%は「初年度に資産の4%を引き出し、翌年からはその金額を物価上昇に合わせて増やす」方式で、退職時点の資産を基準にした実質的な定額です。毎年の残高の4%を引く定率方式とは、挙動がまったく違います。定率なら資産は理屈上ゼロにはなりませんが、収入は毎年ぶれる。この二つを混同したまま「4%なら安心」と受け取ると、そもそも別の話をしていることになります。
そして見落とされがちなのが、この研究が税金のかからない口座を前提に置いていたことです。ここから、日本で崩れる部分が始まります。
2. 円で暮らすのに、資産はドル建て——為替が二階建てで効く
4%ルールが「30年もつ」と言うとき、その資産は米国株と米国債、つまりドル建てです。全世界株式で持っていても中身の過半は米国株で、実質はドルの値動きに乗っています。ところが日本の退職者が払うのは、円建ての家賃であり、食費であり、医療費です。
ここで為替がもう一段のリスクになります。2021年に1ドル110円前後だったドル円相場は、2022年から2024年にかけて円安が進み、2024年7月には一時161円台と、37年半ぶりの水準をつけました。ところがその夏の160円台から、秋には140円台へ。わずか二か月ほどで約20円も揺れ戻したのです。相場はその後も落ち着かず、2026年に入るとふたたび160円台をつける場面がありました。仮に米国市場が横ばいでも、円で見た資産額はこの数年で四割以上ぶれた計算になります。ベンゲンのシミュレーションはドルの中で完結していて、この円換算の揺れは入っていません。円高に振れた年に生活費分を売れば、同じ生活水準を保つのに取り崩す口数は増えます。市場の値動きと為替の値動きが二階建てで乗る——これがドル建て資産で円の暮らしを賄う人の、元の研究にはない上乗せリスクです。
3. 4%引き出しても、税引き後にそのまま4%が残るわけではない
ベンゲンが前提にしたのは、税金のかからない口座でした。日本で課税口座(特定口座・一般口座)にある投資信託や株式を売って生活費に充てると、その譲渡益に20.315%(所得税15%+復興特別所得税0.315%+住民税5%/国税庁「株式・配当・利子と税」)がかかります。
誤解を避けるために正確に言うと、課税されるのは売った金額の全部ではなく、値上がりした利益部分だけです。取り崩し始めの数年は利益が小さいので、税負担も軽い。ですが年を追うほど含み益が積み上がり、同じ4%を引き出すために売る金額のうち、課税対象が膨らんでいきます。手取りで生活費に届かせようとすれば、その分だけ多く売ることになり、資産の減りは元の研究の想定より速くなります。
この税の穴をふさぐ制度がNISAです。NISA口座内の売却益と分配金は非課税なので(国税庁)、生活費の取り崩しをNISAの範囲に収められる人ほど、4%ルールの前提に近づきます。逆に言えば、課税口座の比率が高い人ほど、額面の4%と手取りの差を自分で見積もり直す必要があります。ここは口座区分によって結論が変わるので、具体的な税額は確定申告の扱いも含めて、税務署や税理士に確かめてください。
4. 暴落が「取り崩し始めの数年」に来ると、資産寿命は縮む
同じ大きさの暴落でも、それが起きるタイミングで結末は変わります。取り崩しを始めた直後に相場が大きく下げると、値下がりした資産をさらに生活費で売り崩すことになり、その後に相場が戻っても、売ってしまった分は回復の波に乗れません。反対に、上げ相場が先に来て資産が厚くなってから下げが来れば、同じ下落率でも耐えられます。順序が結果を左右する——これがシーケンス・オブ・リターンズ・リスクと呼ばれるものです。
ベンゲンの4%が「最悪のケースに耐えた線」だったのは、まさにこの取り崩し初期の暴落を含む退職年をシミュレーションに入れていたからでした。裏を返せば、4%はこの順序リスクをすでに織り込んだうえでの、ぎりぎりの数字だということです。そこに為替と税という日本側の上乗せが重なれば、同じ4%でも耐えられる余地は、元の研究より薄くなります。
5. 物価が動き出した日本で、引き出し額を据え置く落とし穴
繰り返しになりますが、4%ルールは「初年度4%、翌年からは物価上昇に合わせて引き出し額を増やす」ルールです。増やす前提を外して毎年同じ金額を引くだけなら、暮らしの水準はインフレの分だけ静かに下がっていきます。
長らく物価が動かなかった日本では、この「毎年増やす」部分が意識されないまま来ました。ところが総務省統計局の消費者物価指数によれば、生鮮食品を除く総合、いわゆるコアCPIの前年比は、2023年平均が3.1%、2024年平均が2.5%、そして2025年平均がふたたび3.1%でした(総務省統計局「消費者物価指数 2025年(令和7年)平均」ほか)。年ごとに多少の上下はあっても、三年続けて2%台後半から3%台にとどまっている。長く「ゼロ近辺」に慣れた感覚からすれば、これはもう据え置いてやり過ごせる水準ではありません。とりわけ食料の値上がりが大きく、退職後に支出の比重が食へ寄る家計ほど、体感の目減りは指数の数字より重く出ます。物価に合わせて引き出しを増やせば資産の減りは速まり、増やさなければ暮らしが細る。デフレ前提で描かれた「4%を据え置けば安心」というイメージは、いまの日本では通用しません。
4%という数字そのものが間違いなのではありません。間違いは、非課税・ドル建て・低インフレという他国・他時代の前提ごと、数字だけを持ち込むことです。為替・税・インフレという三つの上乗せを額面の4%から差し引いていけば、円を取り崩して暮らす日本の退職者にとっての現実的な率は、4%より低いところに落ち着くはずです。3%前後を目安に置く考え方があるのは、この差し引きの結果にほかなりません。
そのうえで、次の一手をひとつだけ挙げます。自分の資産のうち何割が課税口座で何割がNISAか、生活費は円で年いくらか、その円建ての支出が物価でどれだけ増えていくか——この三つを自分の数字で置き直し、取り崩し率を計算し直すことです。ここに書いたのは一般的な考え方の整理であって、最適な取り崩し率は資産構成も家計も人それぞれ違います。具体的な金額や税の扱いは自分の口座で確かめ、最終的な判断はご自身で下してください。輸入した4%を疑うところから、自分の三十年は設計できます。
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