年金に月5万円を上乗せする ― 繰下げ・就労・取り崩しの違い
年金に月5万円を上乗せする ― 繰下げ・就労・取り崩しの違い
令和8年度の数字で計算する、終身になる経路とならない経路
「年金に月5万円を上乗せする仕組み」という言い方を、あなたも一度は目にしたことがあると思います。ただ、この言い方には無理があります。同じ「月5万円」を公的年金の繰下げでつくろうとすると、待つ期間が人によって68歳5か月から74歳8か月まで、6年3か月もひらく。厚生労働省が令和8年1月23日に公表した令和8年度の年金額で、後半に実際に計算します。誰にでも当てはまる一つの「仕組み」は、存在しません。
存在するのは、性質のまるで違う三つの経路です。繰下げ、就労、取り崩し。順に質問の形で見ていきます。
1. 「月5万円」は、額面の話ですか、手取りの話ですか?
ほぼ確実に、額面の話です。額面と手取りの差は、繰下げで増やしたときにいちばん大きく出ます。
国税庁のタックスアンサーNo.1600「公的年金等の課税関係」によれば、65歳以上で公的年金等の収入が330万円未満なら、公的年金等控除は110万円。収入に比例して増える控除ではなく、定額です。
定額であることが効いてきます。繰下げで年金が月5万円、年60万円増えても、控除は110万円のまま動かない。増えた60万円はまるごと雑所得になり、所得税と住民税がかかり、国民健康保険料や介護保険料の算定にも乗ってくる。手取りで月5万円を残したいなら、額面ではもっと積む必要がある。
私の勝手な心配ではありません。日本年金機構自身、繰下げ受給の案内で、年金額が増えると年金生活者支援給付金や医療・介護保険の自己負担、保険料、税金に影響する場合がある、と断っています。
2. 繰下げなら、何歳まで待てば月5万円になりますか?
あなたが今いくら受け取る予定かで決まります。日本年金機構によれば、繰下げの増額率は1か月あたり0.7%、上限は75歳までの120か月で84%。この増額率は生涯変わりません。
では、厚生労働省が令和8年度の年金額改定とあわせて公表した「多様なライフコースに応じた年金額(概算)」の五類型に0.7%をあてはめ、増額分が月5万円に届く最初の月を一件ずつ計算しました。
— 厚生年金期間中心(20年以上)の男性、月176,793円 → 41か月待って68歳5か月。増額分50,740円
— 厚生年金期間中心(20年以上)の女性、月134,640円 → 54か月待って69歳6か月。増額分50,894円
— 第3号被保険者期間中心の女性、月78,249円 → 92か月待って72歳8か月。増額分50,392円
— 国民年金第1号期間中心の男性、月63,513円 → 113か月待って74歳5か月。増額分50,239円
— 国民年金第1号期間中心の女性、月61,771円 → 116か月待って74歳8か月。増額分50,158円
68歳5か月と、74歳8か月。開きは6年3か月です。同じ「月5万円」なのに、待たされる長さがこれだけ違う。しかも国民年金中心の女性は、上限の75歳まで丸ごと10年待っても増額分は51,888円。ぎりぎりです。
なお、厚労省の概算の「基礎年金」欄には振替加算が含まれますが、振替加算は繰下げの増額対象になりません。該当する人は必要な待機が上の月数より少し長くなります。
3. 働いて月5万円稼ぐと、年金は止まりませんか?
止まりません。しかも令和8年4月から、止まりにくさが一段変わりました。
日本年金機構によれば、令和7年年金制度改正法(令和7年法律第74号)にもとづき、令和8年4月から在職老齢年金の基準額が月51万円から65万円に上がりました。支給停止額は、老齢厚生年金の基本月額と総報酬月額相当額の合計から65万円を引いて2で割った額。老齢基礎年金は、そもそも調整の対象外です。
さきほどの類型で計算します。厚生年金期間中心の男性なら、厚生年金部分(基本月額)は106,842円。65万円からこれを引くと543,158円。つまり賞与込みの月額換算で54万円を超えるまで、年金は1円も止まりません。月5万円のパート収入で止まることは、ありえない。
「働くと年金が減る」話が消えたわけではありません。厚生労働省の「年金制度の仕組みと考え方」第10は、2018年度末に65歳以上の在職受給権者の17%が支給停止の対象だったとしています。基準額が上がる前の数字です。
4. 65歳から働き続けると、年金そのものは増えますか?
増えます。ここが、たぶんいちばん知られていない経路です。
在職定時改定という仕組みがあります。日本年金機構によれば、65歳以上70歳未満で厚生年金に加入して働いていると、毎年9月1日を基準日に、前年9月から当年8月までの加入期間が年金額へ算入され、10月分から改定される。振込に出るのは12月。年金に定期昇給が起きるようなもので、増えた分は終身です。
ただし70歳で終わります。厚生年金の被保険者ではなくなるので、それ以降どれだけ働いても年金額には反映されません。
繰下げと組み合わせるときの罠がひとつ。日本年金機構は、繰下げ待機中に在職老齢年金で支給停止される額は増額の対象にならない、と明記しています。高い給与で働きながら繰り下げれば両方取れる設計には、なっていません。
5. 貯金から月5万円出すのと、繰下げとでは、何が違いますか?
原資が同じでも、続く長さが違います。
さきほどの男性が68歳5か月まで繰り下げるとき、その41か月のあいだ、本来なら受け取れた年金を受け取っていません。176,793円×41か月=7,248,513円。約725万円です。
ただし725万円では足りません。日本年金機構は、繰下げ待機期間中は加給年金額も振替加算も支給されず、どちらも増額の対象にならない、と書いています。厚生年金の加入が20年以上あって年下の配偶者がいれば、配偶者加給年金額が付く。令和8年4月からの額は243,800円、昭和18年4月2日以後生まれなら特別加算179,900円が乗って合計423,700円。月にして35,308円です。
待機中の41か月、配偶者がずっと65歳未満なら、この423,700円も出ません。41か月分で1,447,642円。725万円に足せば、差し出す額は約870万円。しかも配偶者が待機中に65歳になれば、加給年金はそこで消えるだけです。
では、その870万円を銀行に置いて月5万円ずつ取り崩したら。8,696,155円÷60,000円=144.9か月。12年1か月で、なくなります。運用しなければ、という前提つきですが。
繰下げのほうは、8,696,155円÷50,740円=171.4か月。受給開始から14年3か月後、82歳8か月で元が取れる計算です。加給年金を数に入れなければ80歳4か月でした。2年4か月、後ろにずれる。
ここから先の損得は、この記事では計算しません。何歳まで生きるかを、私は知らないからです。あなたも知らない。
わかっているのは、性質の違いだけです。取り崩しは、いつか止まる。繰下げと在職定時改定で増やした分は、止まらない。「死ぬまで出る」という言い方が事実として成立するのは、後者だけです。
ここまでの数字は、厚労省が示した類型別の概算です。あなたの年金額はこれとは違います。加給年金が付くか、配偶者が何歳かでも答えは大きく動く。ねんきんネットか年金事務所で自分の見込額を確かめてから、同じ計算をやり直してください。税や保険料の効き方も家族構成や自治体で変わりますから、詰めるなら税務署や税理士に当たることになります。
最後にひとつだけ。あなたが本当に欲しいのは「月5万円」でしょうか。それとも「いくつになっても止まらない」ほうでしょうか。この二つは、同じ設計では手に入りません。どちらを先に決めますか。
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